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委員会会議録

質問文書

開催別議員別委員会別検索用


平成29年2月定例会産業委員会 質疑・質問
質疑・質問者:森 竹治郎 議員
質疑・質問日:03/07/2017
会派名:自民改革会議


○森委員
 それでは、私から二、三点、一括質問方式でお尋ねいたします。
 最初に、提案案件の概要及び報告事項50ページ、企業立地促進に向けた取り組みについての説明が書いてあります。この中の製造業等の立地動向で立地件数は全国の第1位、立地面積も全国第6位となかなかすばらしい御活躍で敬意を表するわけであります。
 この中でお尋ねしたいのは、この29件の皆さんの設備投資の総額はどれぐらいあるのか。言うまでもなく設備投資、本県の中に工場などを建設してくれればやはり県内の建設業界も潤います。この中に機械器具を納めれば、やはり県内の業者も大変潤うわけであります。できればこれから、おおよそで結構ですから投資総額も説明に入れていただければ、より広い方向で県内の皆さんも、皆さん方の努力がわかると思います。
 それから、29件の皆さんはどれぐらい雇用を上げてくれるのか。こういうこともやはり県内の産業界に投資する皆さん方の成果が大きく理解してもらうことにもつながると思います。わかる範囲で結構ですけれども29件の立地件数でどれぐらいの設備投資があるのか、どれぐらい雇用をふやす効果があるのかをお尋ねしたいと思います。

 あわせて、海外経済交流促進事業費があります。これは対日投資有望企業の視察受け入れと説明が書いてありますけれども、具体的にどういう業界、あるいはどういう方面の国々あるいは地域から受け入れるのか説明をお願いしたいと思います。

 次は、提案案件の概要及び報告事項53ページ、中小企業、小規模企業の振興についてであります。
 御案内のとおり、昨年の12月県議会で条例を制定しました。これは当局の皆さんにも我々議会にも、商工会議所連合会あるいは商工会連合会を初めとする商工業者の皆さんから条例をつくってほしいとお話があって私どもも大いに賛成した。さらにこれに対して皆さん方がいち早く予算をもって対応する、これも私は評価すべきことだと思っております。
 そこで、提案案件の概要及び報告事項53ページに小規模企業経営力向上支援事業費助成の説明が書いてあり、対象経費の説明の中に開発費、機械装置等費、委託費、外注費、広報費ほかとありますけれども、どういう内容を考えていらっしゃるのか、もう少しお尋ねしたいと思います。

 それから、その下段の広域サポートセンター設置事業費助成4000万円は、アドバイザー6人の方を予定をされているようですけれども、どういう経歴の方々をお考えになっているのか。
 総額1億4000万円の予算措置を直ちに組まれたことは、やはり評価すべきことだと思います。これを踏まえて今お尋ねしたわけであります。

 それから、議案説明書(平成29年度関係)94ページ、農業関係の地域が潤う直売先進モデル創出事業費助成1800万円。
 県内では、このような事業が非常に今とり行われて、地域おこしやいろいろな実績を積んでいる。伊豆半島もたくさんあって地域の農業者あるいは漁業者が成果を上げてきていますけれども、この予算でどういう皆さんに何カ所ぐらい応援をするのか、あるいは場所はどういうところを考えているのか、おわかりになればお尋ねをしたいと思います。

○村松企業立地推進課長
 まず1点目、企業誘致における設備投資額、雇用効果についてお答えいたします。
 平成28年上期の29件につきましては、国の調査になっておりますので細かいデータは持ち合わせていないんですけれども、私どもが補助金の制度をつくってからの集計データがございますのでそちらを御紹介したいと思います。
 補助金制度は平成7年にできましたけれども、平成7年度から平成27年度まで21年間で559社に補助金を出しております。この559社につきまして調べたところ設備投資額は用地取得費を除いて約8475億円でございます。また雇用効果ですが、この559社で2万2700人程度の雇用効果があったという集計がございます。

 それから2点目、対日投資いわゆる本県への外資系企業の誘致でございます。
 本県には、11カ国から50社以上の外資系企業が製造拠点を設置しております。これは私どもの把握している中では日本一でございます。
 国、地域別では欧米企業が大半を占めておりますが近年では中国やシンガポールの進出が見られるようになっております。
 こういった中で、本県での取り組みでございますが、平成28年度は11月に中国浙江省企業5社を招聘したところでございます。具体的には製造業が3社、IT関係が1社、化粧品関係が1社の5社でございます。こうした企業に清水港やインキュベート施設などの施設を紹介して、本県のいわゆる投資環境のPRをしたところでございます。参加企業の反応もよく浙江省人民政府からも継続開催の要望が寄せられていますので、平成29年度も中国浙江省を1つのターゲットとして招聘をしてまいりたいと思っております。

○野村経営支援課長
 新しい条例に基づいた2つの事業、小規模企業経営力向上支援事業と広域サポートセンター設置事業について御説明いたします。
 まず、どういう経費かということですが、補助金額の上限額が50万円で大きな金額ではないですけれども、例えばサービス業でレストランがケータリングを始めるということであれば参入時の機材とか什器、メニュー表の作成など。小売業でしたら新しい販売方法や新商品の取り扱いについて開始時のシステム料とか、店舗とか空間のデザイン料。製造業であれば新商品の試作の委託とか、試作材料費などを想定しております。

 それから、広域サポートセンター設置事業のアドバイザーの人選については、広域サポートセンターは県商工会連合会が設置するので、支援体制の充実のために能力を持った職員の方を県商工会連合会が人選すると考えております。

○細谷農業戦略課長
 地域が潤う直売先進モデル創出事業費についてお答えいたします。
 この事業は、直売所の売り上げを伸ばすことによって地域の活性化あるいは農業者の所得向上につなげようとするものです。各直売所の事業者の方からモデル的な取り組みを提案していただいて、先進的で地域への波及効果が高いと思われるものについて採択したいと考えています。補助事業の箇所数は2カ所程度を考えています。

○森委員
 それでは、この春をもって産業委員会の説明員の中で3名の方が勇退されると聞いております。それは、篠原清志経済産業部長、芝田篤労働委員会事務局長、田章労働委員会事務局調整審査課長であります。私からお三方に感謝の挨拶をさせていただきたいと思います。
 篠原経済産業部長におかれましては、昭和54年4月に県に奉職されて以来、38年間の長きにわたり一般行政職員として県政の進展にお骨折りをいただきました。昭和54年4月というと、私も昭和54年4月に県議会議員になって何か同期生のような気がします。この間企画広報部政策企画局長、経済産業部部長代理、企業局長などの要職を歴任されまして、平成27年4月から経済産業部長として農林水産業から商工業まで非常に幅広い産業振興や雇用対策にその実力を発揮されてまいりました。
 今思い起こしますと、昭和54年当時は日本もまだまだ高度成長と言いましょうか、経済活動が非常に活発なころ、そしてその後バブル経済で日本全体が非常に明るい時代であったんです。その後リーマンショックやら何やら20年間失われた経済という、それが今日まで続いてきておるわけでありますけれども、ようやくにしてきょうの説明にもあるように本県も緩やかな回復基調にあると。こういうことはやはり経済産業部長として、まさに寝食を忘れた八面六臂の御活躍をいただいたわけであります。心から感謝を申し上げたいと思います。
 芝田労働委員会事務局長におかれましては、昭和55年4月に奉職されて以来、これまた37年間の大変長い期間にわたって一般行政職員として県行政に当たってこられました。この間建設部空港局管理監あるいは文化観光部総務企画課長、中部地域政策局長などを歴任されました。私も個人的に、芝田さんが観光におられたとき、よく伊豆半島のほうにも足を運んで伊豆半島の観光振興にも大変御協力をいただいたことがきのうのように浮かんでまいります。本当にありがとうございました。
 労働委員会事務局長としては、平成27年4月から就任されて今日を迎えるわけでありますけれども、けさの説明にもございましたように静岡県労働委員会事務局――これは田さんについても同じことが言えるわけでありますけれども――やはり皆さん方の御尽力で非常にスムーズに仕事をやっておられるなと。それはやはり労使の関係がうまくいかなくて、皆さん方の調整がうまくいかなくて訴訟になる、この訴訟になる件数も静岡県は比較的少ない。これはやはり皆さん方のお骨折りがあろうからと私は思っております。
 それから、労働委員会田調整審査課長におかれましては、昭和55年4月に奉職されて以来、同じように37年間一般行政職員として県行政に携わってこられました。この間教育委員会事務局社会教育課長補佐、熱海財務事務所次長、あしたか職業訓練校校長などの要職を歴任されてきたわけであります。あしたか職業訓練校は、私ども議会でも何回か視察をする機会がありました。やはり本県の産業界に優秀な人材を輩出してきておるのはあしたか職業訓練校、この校長としてその手腕を発揮されたわけであります。これまた敬意を表するところであります。
 労働委員会調整審査課長としては、芝田労働委員会事務局長と同じように平成27年4月から赴任をされておるようであります。これまた不当労働行為の審査救済、争議の調整を適切に行い労使関係の正常化、安定化に御尽力をされてきたわけであります。
 それぞれ3名の皆さんは、恐らくは御自身の健康についても十分御留意されてきたと思いますし、また奥さんを初め御家族の皆さんのいろんな面での御協力があったのではないのかなと。御家族の皆さんにも私はお礼を申し上げなければいけないと思っております。
 これからも御健康に留意されまして、県の幹部職員としての豊かな経験、見識をこれからもまた地域社会あるいは県のOBとしていろんな局面があろうかと思います。ぜひ御活躍をお願いしたいと思います。
 御退任に当たりまして、これまで携わってこられた県行政を振り返りながら後輩の皆さんへのアドバイスなどがあろうかと思います。篠原経済産業部長、芝田労働委員会事務局長、田労働委員会調整審査課長の順序で御挨拶を願いたいと思います。よろしくお願いします。

○篠原経済産業部長
 身に余るはなむけのお言葉をいただきまして、本当にありがとうございます。
 委員の皆様にも、ことし1年本当にありがとうございました。
 今、御紹介をいただきましたように昭和54年に入庁いたしまして、当時は石油危機の2回目が終わってやはりまだまだ就職難と言いますか経済がいろいろ混乱している時期でありましたけれども、地方の時代と言われてちょうど神奈川県の長洲知事とか本県の山本知事もそうですが、そういう時代でした。私は御殿場の生まれで本当は静岡県に就職って余りぴんとこなかったんですが、それでも県庁に入ってやってきました。
 最初に生活保護のケースワーカーをして、すぐその後沼津市の福祉事務所に行ってそこでもケースワーカーをしました。県庁の中でも私ぐらいしか市でケースワーカーをした者はいないんじゃないかと。行き倒れの方の御遺体を片づけたり、そんないろんなことも20代のときに経験しました。
 30代になって通産省へ行けと言われて通産省へ2年ばかり行って、割愛で行ったものですから本省の係長をやっておりました。帰ってきたらまた主事になって、国の人たちにちょっといやみを言われたりした思い出もあります。地方の時代と言われて自分の性格もそうですが、やはり静岡県が自立していく、あるいはここが輝いてほかの県よりも立派になっていくというか、国に対抗といいますか一緒に発展していくという思いでずっと仕事をしてきております。
 それで30代の半ばに、斉藤知事の最後のころですが、清水石炭火力の最後の1年を担当いたしました。この中だと森先生が御承知で、あのときは自民党といいますか政党の中にもいろんな意見があり、県議会もこんな感じで、斉藤知事が最後に今の望月国会議員に対して、まだわからないのかとか本会議で怒鳴られたときに担当をした記憶がございます。そのときも国や中部電力という大きな組織といろいろ調整させていただきました。次の年に、静岡ガスの今のLNG基地の立地調整を担当して国やなんかといろいろやって、30代の半ばでそんな仕事をさせていただいております。
 40になるころ、シンガポールへ行かせていただきまして海外の駐在員をしております。
 帰ってきましたら、ちょうど石川知事が知事になられて安定してきたころで、総合計画を新しい総合計画にすると。それまでの開発経済型のキャッチアップ型の計画から、今の目的を入れた目的志向型の目標数値で管理する総合計画にする担当主幹をやって、一応原型といいますかPDCAシステム等もいろんな方と一緒につくり上げていっております。そのときには企画におきまして、今は山梨県、神奈川県とのサミットになっておりますけども、それも始めさせていただいております。
 その後国際課に行きまして、シンガポールにいたこともありますけれども国際課では在住外国人の取り組みの最初もやれと言われてやりました。1年間だけだったものですから枠組みをつくっただけで異動になりましたけども、それをやりました。
 その次が、ファルマバレープロジェクトです。企画のときにもファルマバレープロジェクトを行っていたんですが、ファルマバレープロジェクトの産業振興を中心に担当となりました。総合計画の目的志向のものをつくるときもそうですが、このファルマバレーの取り組みのときも最初は県庁の中から総スカンで、何をやっているんだとかいろいろ言われて苦労したことがあります。そのときの部長さんたちからもかなりいろんなことを言われた思い出があります。ただそのときの石川知事もそうですが、とにかくやるんだということで私も進んでいくことが重要だということで担当室長のような立場で担当して、今も担当しておりますけれどもファルマバレープロジェクトは静岡県を代表する施策として大きく育っている状況にあります。
 その後、昔エネルギーをやっていたので震災後のエネルギー関係もちょっとやれということで政策企画部へ行って、そこでは川勝知事の始めた内陸フロンティアもまとめろということでやらせていただきました。
 その後企業局へ行って、工業団地の開発もやりました。やれと言われてからやったんじゃないですが、CNFについても最初はいろんな御意見がございました。ただこれからの時代あるいは静岡県の位置づけの中で、この政策は必要だということで知事にも説明し皆様の御理解を得て進めてきております。
 ことしにつきましても、予算についてはかなりやらせていただいたなと思っておりますが、中小企業・小規模企業振興基本条例も皆さんの御了解をいただいてやって、今御紹介いただきましたように質問にもありましたようにただ紙に書くだけじゃなくて実際に政策として落としていこうとスタッフに言ってやらせていただきました。またお茶の愛飲条例についてもやらせていただいたという記憶でございます。
 振り返って思うと、最初地方の時代で静岡県の自立、活性化とかそういう思いで入って進める中で、正直に言いますと特にこの県庁という組織の中のいろんな問題にぶち当たってきた感じがします。
 今行っているCNFにしてもそうです。ファルマとかもそうだったです。いろんな形で新しい取り組みを始めました。ただバブルが終わって日本の中で閉塞感を破って進んでいかなければならない中で、静岡県もしっかり雄県として存在感を持って皆さんが豊かになっていかなきゃならない。やはり経済産業部がそういうものを打破していくと。それを私は2年間、このスタッフたちと一緒になってやってきたと思っております。いろいろなことが起こると思いますけれども、このメンバーは優秀なメンバーです。みな私の考えに理解をしてくれて一緒に進んできました。これからも経済産業部が中心になってしっかりした政策を組んで、静岡県が今後発展するようにやっていくことが必要だと思います。その上で議員の皆様にもこれまで以上の御協力、御支援をいただければと思います。本当にありがとうございました。(拍手)

○芝田労働委員会事務局長
 過分な御紹介と、またねぎらいの言葉をありがとうございました。また議員の先生方にもこの1年いろいろお世話になりました。ありがとうございました。
 簡単に振り返りということでちょっとお話しさせていただきます。私も事務屋の中でも比較的この道一筋という形で、この経済産業部の中でも商工関係が長い方等々おられますけれども、私は全く新採で入ったころから異動について脈絡なくいろんなところへ、言葉は悪いんですけれど回された。ただ結果的に考えるといろんな部署を経験してよかったと今思っているわけですが、そういった経歴です。
 そうした中でも、先ほど御紹介いただきましたように37年になりますけれども、忘れられないのはやはり空港建設の関係のところです。空港と言いますと今現在も動いていて日々課題があるわけですけれども、私が携わらせていただいたのは空港建設で30ちょっと過ぎのときです。まだやっと建設候補地が特定されて、これから地元に対して説明をという段階で組織的には専門の部署ができて、当時はまだ課内室でしたけれどもメンバーは七、八人だったような気がします。そこへ配属になったのがまず空港とのかかわりの最初でございます。
 当時は、こんなやせた畝の丘陵地にもなっていない、アクセスも余りよくないところで本当にできるのかと思ったのが正直なところでございます。何だかんだで先輩方の後について地域の各集落等へ説明に回る。まだ周りは全く反対の後ろ旗が立っていて、なかなか説明の受け入れもしていただけない状況のころを経験させていただいております。
 それから、その部署を一旦離れてこれも何の因果か51で初めて課長になったときに、当時まだございました空港部の――当時は室長と言っておりました――総務室長に配属になりました。
何をやるんだと言ったら、一応開港がもう見えてきたからそれに向けての県民の皆さん方の期待感の盛り上げのようなイベントであるとか、その最終形として開港式を華々しく盛大にやれ、それがおまえの仕事だと言われたんですがそれが4月でした。ところがしばらくすると周りから木が木がという話が出て、何のことか最初はわからなかったんですけれども御案内のとおり立木の問題で結果的には開港も数カ月おくれたと。いっときはいつ開港できるのかという非常に厳しい瀬戸際にあった状況も経験させていただきました。
 そうした中で、県議会の先生方に臨時議会までやっていただいて、いろいろな御説明の機会を設けて御理解を賜ってという場面もつくっていただきましたし、また一方では森先生もそうですけれども、応援していただいている議連の先生方にいろんな場面で動いていただいて、何とか開港にこぎつけた状況でございました。空港部に2年いたわけですけれど3年も4年も仕事をしたような、一番仕事をしたと自分では思っているんですけれどそんな経験をさせていただきました。
 それから、御紹介をいただきましたように新しく文化・観光部ができて3月31日に自分の手荷物を持って行ったら、私の席はあるけれど部下の席がない、これから椅子を運び込むという混乱した状況で寄せ集めでしたので、これから一つの部としてやっていかないかんといろいろ苦労した経験もございます。
 その後、出先機関に出させていただいた中で地域政策局という立場で予算もマンパワーもございませんでしたけれども、各市町がどのように住民に対して行政をやっているか、今まで余り経験がなかったんですけれども間近に見させていただくことができて、県と市町とのパイプ役というかつなぎの役のような仕事をさせていただきました。
 そして、最後が今ここにおる労働委員会でございます。労使関係というと非常に簡単に聞こえますけれども、基本はやはり人と人とのかかわり方、立場が違う働く人間とそれを使う使用者、経営者、それぞれよかれと思って考えてやっていることがあるきっかけでトラブルになってしまう。またそのトラブルが発展して抜き差しならぬ紛争になってしまう。それを第三者的に何とかしようという組織でございますけれども、非常に教科書その他に書いてあるとおりにはいかないところでありまして、この2年間私どもの中におられる委員の先生方も非常にそういったところにたけている、人生経験豊富な方にいろいろ教えていただくことがあって私の人生にも非常にプラスになったと感じております。
 こうしたことで、なかなか仕事としてはマニュアルがない前例がないことをいろんなところで経験させていただいて、それが非常に自分にとってはプラスになったなと。それとやはり人に恵まれていたと思っています。先輩方、上司の方々、非常に個性のある方が私の周りには多くおられた気がします。その一端でも吸収していこうという姿勢でやってまいりましたけれども、はて、どうかなというのが正直なところでございます。
ただ、ここ二、三年、退職が見えてきたと意識し出したときに、やはりそうした先輩方等から受け継いだ気持ちというか公務員としてのマインドをなるべく周りの人間、特に若い人たちに伝えようとそれなりに努力してきたつもりでございます。うるさい上司だとちょっと煙たがれる状況もありますが、私なりに努力してきたつもりでございます。
 退職後は、もう少し働かせていただいて、また私の住んでいる地域も町なかではございますけれども御案内のとおり高齢の世帯が多くなってなかなかコミュニティーがもたなくて、おまえも退職するなら少し手伝えというようなことも言われておりますので、そういった面でもいろんな形で地域のためにも微力ながら力を尽くしていきたいと思っております。
 また、先生方にもどこかの場面でお会いするかもしれません。またお力をおかりするかもしれませんけれども、よろしくお願いしたいと思います。
 このような場を設けていただきまして、本当にありがとうございました。またこれからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

○田労働委員会事務局調整審査課長
 先ほど、森先生から過分な御紹介を賜りましてありがとうございます。また労働委員会業務につきましても、大変御理解のあるお言葉をいただきましてありがたく思います。
 今思い返してみますと、私、実は労働委員会事務局は2度目の勤務であります。1度目は平成17年から3年間、当時は主幹と言っていましたけれど今で言う班長として勤務したのが最初であります。当時はちょうど小泉構造改革で、景気的には上げ潮の時期でありました。
 郵政民営化がなされるということで、今後労働委員会は郵便局の労使紛争も扱えとなりましてこれは大変なことになるなと思っていたんですが、平成19年10月から郵便局の労使紛争も扱うようになったんです。この前ちょっと数えてみましたらこの10年間に不当労働行為の審査が2件、労働争議の調整が2件、個別的労使紛争のあっせんが2件で、たった6件しかなかったということで本県の郵便局の労使関係は安定していたと思っております。
 その当時、一番問題が多かったのは外国人労働者の問題であります。ブラジル国籍の方が大変多くて、私の記憶ですと平成19年末で約5万2000人近くブラジル国籍の方がいらっしゃいました。平成27年末でブラジル国籍の外国人登録の方2万3700人という数字がありますので、当時は倍くらいいたことになります。外国人労働者の多くが下請零細企業で就労していまして、当然労働組合もないと。そういう中で何か問題が起きると地域で1人でも加入できる合同労組に入って、助けを求めるというケースが多くありました。  そういう中で、あっせんとかあるいは不当労働行為の審査をするのにも通訳者を確保するのが初めて問題になりまして、裁判所に法廷通訳でどういう人がいるかとか単価は幾らとか、そういうことを聞きに行ったり勉強したりして今のような体制づくりをしたのを覚えております。
 それで、先ほど森先生が御紹介くださったところを回ってきて、また最後の2年間でこの事務局に戻ってきたわけでございますけれど、この2年間はその当時と違って外国人労働者の問題が目立たなくなったなと感じております。かわりに1人でも組合に入れる合同労組に入って使用者と紛争をする形が多くなりました。非常に利益闘争的なケースが多くなったと感じております。
そういう中にあって、今後とも労働委員会は迅速、的確な解決と金銭解決などについても解決のスタンダード化とかが求められてくると思います。
 今後も、労働委員会業務をぜひ時々は見ていただいて、御理解、御協力を願いたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

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