韓国駐在員報告
2019年1月 社会・時事 駐在員 : 野原 靖
全羅北道・益山(イクサン)市と円光(ウォングァン)大学校の馬韓・百済文化研究所は12月20日、百済第30代の王である武王(ブオウ)の王陵とみられる益山双陵(サンヌン)大王陵で、百済王陵の中では最長の墓道を確認した。
静岡県と韓国のつながりは、百済を抜きには語れない。「日本書紀」によると、現在の忠清南道に最後の都を構えていた百済王朝は660年に滅亡したが、再興をかけて戦った663年の「白村江の戦い」には現在の静岡市清水区から1万人あまりの軍勢が援軍に向かったとされ、軍勢を率いた庵原君臣(いおはらのきみおみ)の名は、現在も「庵原」の地名として残っている。
益山双陵大王陵は、武王と妻・善花(ソンファ)姫の墓として知られている。墓道は、長さ21メートル、最大幅6メートル、最大深さ3メートル規模で、墓の部屋である石室は幅4メートルで、奥に入るほど狭くなるのが特徴である。
百済文化研究所のチェ・ワンギュ所長は、「扶餘陵山里(プヨ・ヌンサンリ)古墳群の百済王陵級墓の墓道が4〜6メートルであることに比べ、大王陵の墓道は3〜4倍以上も長く、壮大な儀式が行われたことを裏付けている」と説明した。
また、古墳の築造過程で石室を先に作り、後で墓道を作ったことも確認されたことから、武王が生前に古墳を準備していた可能性が高い。最長の墓道が確認されたことで、益山双陵大王陵は武王の墓である可能性が一層高まった。
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