令和3年度以前知事記者会見

2010年1月14日(木)


発表事項 (1)習近平国家副主席との面会の結果について       (2)文化・芸術研究センターの新センター長について
組織改編及び長野県知事との会談について
沼津駅付近鉄道高架事業について
外国人参政権について
東静岡地区の整備及び富士山の日について

発表事項 (1)習近平国家副主席との面会の結果について       (2)文化・芸術研究センターの新センター長について

<知事>

    (1)習近平国家副主席との面会の結果について】

     この1月10日から12日まで、中国の習近平(シュウキンペイ)国家副主席と1時間にわたる和やかな会見を終えて、無事に帰ってきました。
    これは、中日友好協会の御招待によったものですが、一方で、本県の浙江省との、今年で28年目になる友好関係がベースにありまして、浙江省のトップを務められた習近平氏は、これまで、地方と地方との関係を重視することによって、平和を重層的に築いていくのだという方針をお持ちだった政治家であります。
    お話を聞いておりますと、中国のいろいろな都市が、世界の都市と友好関係を持っている訳ですが、数字を挙げて、中国と友好関係を持っている数が一番多いのは日本だということです。日本関係では、静岡、長崎等と深い関わりを持つことになったことを喜んでいるということも言われておりまして、また、16年間知事職をお務めになった石川前知事を、「老朋友(ラオポンヨウ)」、古いお友達としてお連れしたことも大変喜ばれていました。10分程の会見の予定だったそうですが、それが20分になり30分になりました。
    習近平さんが隣に座って、その奥に武大偉(ブダイイ)さんや、井頓泉(セイトンセン)さん、あるいは許金平(キョキンペイ)さん等。武大偉さんは前の駐日大使、あるいは外務次官を務めた方です。また、中国人民対外友好協会、中日友好協会のトップの方が座っていました。習近平さんは私の方に向かってお話をしますので、30分程しますと、話がなかなか終わらないので、他の方々が慌てているのが分かりました。そして、後から、新華社の方から聞いたのですが、「このように長い会見は初めてだ」と言っておりました。1時間に及ぶ会見は、その記者は経験したことがなかったそうです。また、習近平さんの表情が本当に和やかで、私はそういうものだと思っていたのですが、ああいう顔は滅多に見なかったともおっしゃっていました。やはり、いろいろな内部事情があるのだと思いますが、「老朋友」と、「新しい友人」としての私との両方が、習近平氏に浙江省と日本との関係をさらに深くしていくと。「浙江省で最も美しい、いや、中国で最も美しい西湖(セイコ)と、日本で最も美しい富士山とは、恋人関係になる宿命にあったと思います。」と言ったら、どっと、皆さん和やかに笑われて、習近平さんも「ロミオとジュリエットのようなものですな。」と。いわゆる、用意されていただろう原稿にない話を、各所で織り交ぜまして、最後には、「川勝は学者だから、これまでの学問を日中友好に活かしてください。」と、私のことまで、学問の中身のことも知っていらっしゃるような口ぶりで、送り出してくださいました。写真撮影が終わった後、インフォーマルな形で言われた言葉ですが、非常に良い会見をして帰ってまいりました。
    これは外務省や日本政府を通じて訪問した訳ではなくて、浙江省と本県との関わりの中で、たまたま習近平さんが、昨年12月に日本を訪問した時に、「もし可能ならばお立ち寄りくださいませ。」というお手紙を出して、また、11月に中国に行きました時に、浙江省と上海と北京を訪問しましたが、浙江省は静岡県の代表として、上海と北京は中部7県と名古屋・浜松・静岡の3政令市の代表団としてまいった訳ですが、北京にも行きましたので、「できればお目にかかりたい」ということは間接的にお伝えしてあった訳です。それはお目にかかれると思ってない訳でありましたが、お伝えしておいた訳です。そうしたことや、本県に、中国人でこちらに帰化された、画家の王伝峰(オウデンホウ)さんという方がいらして、その方のいろいろな働きかけもございまして、今回、突如、新年に訪問することができました。新年になって最初の訪問客だと言われたのは、どこで聞いたか忘れてしまいましたが、とにかく、11日の午後3時半から4時半の会見が終わりました後、休憩をいたしまして、その後に釣魚台(チョウギョダイ)という迎賓館にお呼びくださいました。そこで、中国人民対外友好協会の主催による晩餐会がありました。その釣魚台12号館というのは、田中元首相が訪中された時に泊まられたところです。最近建てられた18号館を、国家元首をお招きするときに使われているそうですが、それができるまでは12号館であったと。その12号館は素晴らしい建物でして、そこで歓待を賜りまして、静岡県のPR、富士山のPR、「ふじのくに」のPRをしました。そして、東西文明の調和したこの富士山を盛んにPRしましたところ、向こうも大変喜んでくださいまして、「ぜひ行きたい。」と。こちらは、上海万博や浙江省にも、今年は就航1年目、3776人の代表団を送ると言ったところ、大変、その数字にも喜ばれていまして、午後7時、9時、11時のニュース、さらに人民日報の一面にも載ったと聞きまして、過分な応接にあずかったということで、中国側の御厚意に対しまして、大変感謝をしているところでございます。


    【(2)文化・芸術研究センターの新センター長について】

     二つ目は、静岡文化芸術大学が、この4月から県立の大学になりますが、いよいよ、文化政策を本格的に実施していかなくてはなりません。そこに、石川前知事が肝入りで作られた「文化・芸術研究センター」があります。これは、大学と地域社会との媒介になるような、附置機関ではありますが、いろいろなことができるものを作っています。ずっと有名無実でして、センター長がいるのですが、十分な活躍をしてこないことを、石川さんも心配されており、私も学長として、これからというところだったのですが。そのセンター長に、非常勤ではございますが、三枝成彰さんにお願いすることになりました。三枝さんは、1942年生まれですから、今年68歳になります。有名な作曲家であります。東京芸術大学を出られて、作曲家としていろいろなオペラをお作りになっていますし、いろいろな教育啓蒙活動、さらに日本文化会議を引き継いだ「エンジンゼロワン」というものを実際に動かされている方でございまして、多彩な人脈、華やかな文化人との交流などを活かした文化政策の担い手になっていただくことに快諾してくださいましたので御報告いたします。


    【(1)習近平国家副主席との面会の結果について】

    <記者>
     幹事社から質問します。最初に中国の話がありましたが、こちらから3776人行くということですが、向こうからは何かリアクション、来られるというような話は出たのでしょうか。

    <知事>
     それは、「来てください。」というふうにお願いを直接申し上げてはいません。何しろ、上海万博は、7000万人の入場者を見込んでいます。そして、その数字は、恐らく万博史上最高だったと思いますが、少なくともアジアにおける万博の最初であった大阪万博というのが1970年に開催されていますが、その時の入場者数が6500万弱だったと思います。その数字を念頭に置いていらっしゃると思いますが、それを超えたいということです。ところが、中身を調べてみますと、外国人の入場者を5パーセントと見込んでいるようです。7千万の5パーセントとなりますと、350万となります。350万となりますと、本県の人口以下です。3776人というのは、本県の人口が380万人弱ですから、1000分の1。1000人のうち1人が行けば3776人になるのですが、そういう人が行くということは、向こうにとっては、とっても嬉しいことのようです。それは、習近平さんの話ですが、自分がぜひ静岡県に行こうと思って直前に中央政府から足止めを喰らって、(上海市党委員会書記に)昇格されていった訳ですが、私が、「その時にはぜひ富士山空港に降り立っていただきたい」と言いましたら、「ぜひそうしたい。」とおっしゃっていました。習近平さんが、上海の浦東空港と、富士山静岡空港との間に、東方航空が就航していますが、その斡旋と言いますか、アレンジメントをしていただいたと私は承知しておりまして、今回、石川前知事が、習近平さんに直接そのことのお礼を言う機会ができたことを大変喜ばれていまして、習近平さんも、そのことについてのお礼をお聞きになって大変喜ばれていました。御自身が開かれた航路でございますので、上海でなくても、北京からでも、富士山空港に降り立っていただくことを言いましたところ、「ぜひそうしたい。」とおっしゃっていました。それはひとりで来られるということではないでしょう。国家のナンバー6ですが、かなり年配の方が上にいらっしゃいますから、実質上ナンバー2、一番新しい指導者になる可能性の高い方がお越しになられるということは、ある意味で、中国13億の人々の意思を体現するという意味が出てきます。13億の人の1パーセントも来られても、1300万ですから、なかなか大変ではございます。東京の人口です。
    そうした訳で、行けば自ずと、アウトバウンドがあればインバウンドがあると。交流を、まずこちらからして差し上げたい。特に、今年は上海万博ということで、ぜひ成功したいという、中国どこに行っても非常に強い関心を持っていらっしゃいますので、そういう相手のお気持ちを大事にして、こちらから行くということしか申し上げておりませんが、一方で、富士山の魅力を十分に言っておりますから、それは「来てください。」と申し上げているのと同じことを申し上げております。

    <記者>
     首相の親書を手渡されたと伺いましたが、どういった経緯で手渡すことになったのですか。

    <知事>
     私は羽田空港から北京に飛んだのですが、羽田空港で、王伝峰さんから、「首相の親書をもらっている。」ということで見せていただいて、びっくりしました。こちらから、内閣、外務省に働きかけるということは一切しておりません。招待状がああいう形で来るということも、予想もしていなかったので。そういう形でいただきまして、親書ですので、向こうでどういう形で手渡すかと、中国の日本大使館からのアドバイスがありまして、王伝峰さんと私とで、王伝峰さんがお持ちになっている親書を、私がお渡しするという形で、いただかれてきた王伝峰さんから私が受け取って、それを副主席にお渡しするということをいたしました。結果的には、会見の半ば過ぎくらいだったと思います。終わりの方で、親書を丹念にお読みになりました。私の方は、さっと見ただけです。王伝峰さんが持っていらっしゃいましたので。横文字で書かれて、「鳩山由紀夫」と墨書きでサインされていた親書でございました。ざっと見たところ、「友愛」「友好」「静岡県との関係を大事にしてほしい」というようなことが書かれていたように思います。

    <記者>
     王伝峰さんは、どういった経緯でその親書を受け取ったのですか。

    <知事>
     王伝峰さんは、国会議員のどなたかに働きかけて、首相の方に、親書の依頼がいったとお聞きしております。

    <記者>
     王伝峰さんが働きかけて親書をいただいたということですか。

    <知事>
     王伝峰さん御自身がそれだけできる力があると思いません。王伝峰さんは1999年に帰化された日本人です。本県の県民です。3人のお子さんがいらっしゃって、こちらで生活されています。1992年から、こちらにお越しになって、もう18年間も御在住の方で、日中友好平和条約締結30周年の時には、平山郁夫先生と王伝峰さんのおふたりの記念切手が出されているという方です。今年は平城京遷都1300周年ということですが、「日本と東アジアの未来を考える委員会」の委員長が平山先生で、私は委員長代理でした。平山先生との関係がお深い方だということで、また、本県に長くいらっしゃるということから、王伝峰さんが「ふじのくに親善大使」にふさわしいということで、大使になっていただきましたが、それも今年になってでございました。どういう経緯でそこまで行かれたのか、王伝峰さんの相当な人脈が、日中の架け橋になろうという人脈が、奏効いたしまして、鳩山首相のところにまで話が届いて、「川勝が行く」ということに応じた親書の提供があったのではないかと思っております。




組織改編及び長野県知事との会談について

<記者>
 幹事社から代表質問をします。ふたつお伺いします。
 先日、話が出ましたが、消費や消費者を重視した組織改編を検討されているようですが、知事のお考え、方針をお聞かせください。
 もうひとつは、静岡空港関連ですが、先月の会見で、長野県知事と会談をされるとおっしゃいましたが、これは決まったのでしょうか。
 また、誤伐採の処分について教えてください。


【組織改編について】

<知事>
 組織改編は行いますが、これは、議員の先生方の御同意がなくてはなりませんので、今、慎重に、いわゆる根回しと言いますか、うまく組織が離陸できるように慎重に進めております。空港部がなくなりまして、建設から利活用へという方向ですから、そうした方向にふさわしい部を考えておりますし、それに応じて部局の中で若干の再編も起こるということぐらいで、御勘弁願いたいということでございます。


【長野県知事との会談について】

 長野県知事との会談は、決まりました。1月18日に、長野県軽井沢町の「星のや軽井沢」で行います。これは、星野佳路(ほしの よしはる)さんという、「観光のカリスマ」と言われている方が経営されている、御本人が自称するところの「世界最高のリゾート」というので、それが大成功いたしまして。そこは、「星野温泉」という、どこにでもあるような温泉だったのですが、それをアメリカで学んできたいろいろなホテル経営のノウハウを入れて、日本の旅館が持っているおもてなしを、国際水準に合った「星のや軽井沢」に変えたのです。それが大成功して、本県でも伊東、舘山寺温泉にも手をかけている星野さんは、「“ふじのくに”づくりリーディング・アドバイザー」のひとりです。そこでやろうというふうに決まりました。
ただ、会見の内容については、長野県の方から、こちらに会いたいということだったのです。当初は、飯田でということだったのですが、飯田は、長野県知事が長野県庁から来るにも一番南の端で交通事情が厳しいし、私の方もなかなか厳しいということで、両方の共通の場所で「星のや軽井沢」になりました。私の方は、そこにずっと住んでいたので、ありがたいことだと。
同時に、星野さんに「“ふじのくに”づくりリーディング・アドバイザー」をお引き受けくださって、伊豆半島全体を世界最高のリゾートにしてもらおうと、実は考えております。星野さんとは、田中康夫さんが知事をされていた頃に、アドバイザー委員会で御一緒した経緯もありまして、若手ですが、なかなかのやり手であるということで、前から注目をしていました。最近では、日本全国駆け巡っておられる方ですが、「“ふじのくに”づくりリーディング・アドバイザー」を快く引き受けてくださいました。18日は、いらっしゃらないそうですが、くれぐれもよろしくとの御伝言を承っております。
全体として、私の方としては、関西の方で、地域分権の国の権限・財源等の受け皿としての広域交流圏を作りますね。私は非常に重要なことと思っておりまして、中部地方も、そうしたものを作るということが大事ではないかと。差し当たって、連携は既に行われていますが、観光という観点からできるであろうということで、観光で連携を深めていきたいということを中心にお話したいと思っています。その場で、出てきた話題については、隣県ですので、自由闊達に意見交換を行いたいと思っています。


【誤伐採について】

 もうひとつ、誤伐採の件ですが、向こうから申入書、覚書が来まして、こちらの方で、若干分かりにくい部分や事実誤認の名称・個人名が挙がっていたので、それを事務局の方で分かりやすい表現に変えて、渡辺弁護士の方にお返ししたのが、確か正月初めだったのではないかと思います。それを戻していただいて、それを見て、双方が合意してから、処分問題については決めたいと思っています。



沼津駅付近鉄道高架事業について

<記者>
 沼津駅の鉄道高架化の問題ですが、23日に意見交換会を行うということで、その目的と成果への期待をお聞かせください。
先日、沼津で講演された時に、JR貨物について御批判をされたという話を聞いたのですが、その発言の真意をお聞かせください。

<知事>
 目的は、地域の方々の和をどう取り戻すかということです。もちろん、沼津の高架の目的は、渋滞をいかに解消するかということですが、その渋滞を解消するための高架というやり方が、JR貨物の現在の場所を移さないと、そこで高架の工事に入れないということで、代替地を求められて。そして、そこの土地を収用しない限り、JR貨物が移れないと。それで、その土地をめぐって、「譲っていい」という人と、「譲らない」という人で、「譲らない」という人が50人弱で全体の3割を占めており、現在、地域の人が、賛成派だ反対派だということで、割れているのですね。
非常に困ったことだと思っておりまして、本当に地域の方にとって気の毒なことだということで、実は、私は何回も足を運んでおりまして、そうした足を運んだ先の一つがJR貨物だった訳です。JR貨物は現場の事務所にも行きました。向こうの方々に提起した問題について、「新しい土地が狭い。しかし合理化を図りたい。」という会社の意向で、「狭い土地でもかまわないから行くことになった。早く移してくれなければ困る。」ということをお聞きしました。私の方は、「狭いところにわざわざ無理に行かなくても、そのままいらしてもかまわない訳ですね。」ということを言ったら、「やはり移りたい。」ということを言われて、「言っていることが一貫していませんね。だいたい、JR貨物は、今、運んでいる荷物の量が、昔と比べて相当落ちているのではないですか。昔と同じだけの敷地が要るのですか。」ということを言いました。「皆、地域の人が困っている。困っている中で高みの見物だけしているようでは困りますよ。あなた方も地域の中で仕事をしているのですから。」ということで、1回目の会合はそういう話でした。向こうの現場で。
そうしたら、ある時、向こうの方から、執行役員の方を含めて4人ほど、県庁にお越しになられました。冒頭、「来る必要はなかった。だけど知事が、JR貨物の沼津における輸送量が、昔ほどではないのではないかと言われて帰られたので、今日は、これまでの輸送量を示す数字を持ってきたので、よく御覧ください。」と言われたので、その数字を拝見いたしました。その数字というのは、沼津だけの数字ではなくて、他の数字もありました。「よく御覧ください。かつては貨物全体の輸送で、鉄道輸送が25パーセントくらいを占めていた。それが、鉄道から、いわゆるモータリゼーションの時代になりまして、トラック輸送、宅配便の時代になりました。今、宅配便、トラックによる貨物輸送が、重量ベースで圧倒的ではありませんか。」その数字を見る限り、パーセンテージが書いてあったのです。鉄道輸送は全体の0.9パーセントなのです。1パーセント未満です。全体の重量は上がっているから、沼津も上がっているように見えるのですが、鉄道輸送自体は1パーセント未満だと。その中で、私鉄も入っていますから、JR貨物は0.7パーセントです。それぐらいしかないのです。全体量は、大体60億トンくらいですから、60億の0.7パーセントとなると、4200万トンくらいになります。4200万トンの中で、沼津がどれくらい占めているかとなると、それよりもはるかに低い。ですから私は、JR貨物の方に、「0.7パーセントという数字自体も含めてですが、もう将来はないのではないのですか。要らないのではないですか。」と言ったような経緯がこれまでにあった訳です。
ですから、そういう問題は、地元の方は御存知ないので、それをたまたま沼津に来まして、「今度23日にお越しくださるのですね。」といろいろな方から言われたものですから、中国から帰ってきて、そういうことを言うつもりはなかったのですが、新年の「ふじのくに」の理想郷を話す予定だったのですが、そのような話に及びまして、JR貨物の沼津における現状を御紹介申し上げた訳です。実際、沼津が扱っている量は14万トンです。4200万トンの中の15万トン弱です。ということは、もう300分の1です。ですから、それを聞いた人たちは、びっくりされていました。本当に、自分たちが命がけでいろいろと30年間一生懸命このために戦ってきたとか、このために懸けてきたと。沼津の発展のためにはこれがどうしても大事だと。それはJR貨物に、ともかく移ってもらわなければならないといけないと。しかしJR貨物それ自体が要るのかどうかという数字を初めて聞いたと。驚かれるやら、感心されるやら、ということで、私としては、目的は、ともかく和解をしていただくために、1回行った時には、渡辺朗という優れた政治家が出ています。その方の菩提寺がそこにございます。そこで、お参りもしたくらいです。自民、民主もないでしょう。そこで、声なき声を聞いてきました。何と言ったか。「和をもって尊しとなせ。」と言われたように聞こえました。お寺でその声を聞いたので、それならば、駿河に過ぎたるものは二つあると。一つは富士山です。もう一つは、原の白隠禅師です。ですから、白隠さんのお寺で、松蔭寺でやりたいと。

<記者>
 JR貨物さんとの対立の構図が見えてきてしまうのですが、貨物駅はもう必要ないという方向性で問題を解決しようとお考えなのですか。

<知事>
 いや、これは、現場の方、地域の方がお決めになることです。情報をこちらが提供したということですね。ただ、実際、例えば松蔭寺でお目にかかるとなったときに、午前中と午後で分けてほしいと。賛成派と反対派、あるいは地権者で、それぞれグループごとに会ってほしいと言われたのです。それは、私は「断る」と。「賛成派の人にこう言った、反対派の人にこう言った」と、お互いが「言った、言わない。聞いた、聞かない。」ということになると大変なので、御一緒でしか会いません。もし、けんかするなら、白隠さんのお寺であるということを踏まえて、おやりになればいいと。恐らくけんかにならないでしょう。ということで、そこで御一緒に会うということでしか会わない。すると、御一緒に会ってくださるということになりましたので、賛成派も反対派の方々が反目しあっている状況を、まずその場で、代表団の方々に差し向いで会っていただいて、そこで本音を私にぶつけていただくという場を作ること自体もまた、目的のひとつです。やはり、話し合いで相手の気持ちを、それぞれが十分に理解した上で、解決への道を図るということが、遠回りのようですが、最善の道だと信じております。それが目的の一つです。
JR貨物の方はこんなことも言いました。そこに三島市長が前にいらしたので、三島には、御承知のように、順天堂大学の看護学部がまもなく開部いたします。ところが、私は医学部がほしい訳です。駅前に若者の街、大学街のようなものを作りたいというのが従来からの念願です。三島市長は、「こういうところに土地があります」と、持って来られたのです。それを順天堂大学の理事長のところに持っていきました。すると全然関係のない話をするのですよ。「この人は本当に話を聞いてくださらないのだな。」と思っていたら、実は、狭すぎたのです。2ヘクタール程しかない。こちらも気付きまして、ここですら4万平方メートルから5万平方メートルは要ると。ところが2万平方メートルしかないと。そういう土地を、いくつか、「これとこれが空いています。」と言われたのをそのまま持っていき、本当に失礼なことをしたと思っています。
しかし、JR貨物駅というのは、今のあるところ、それから新しいところを合計すると、20万平方メートル弱あります。そうすると、10万平方メートルもあったら、ここがふたつ、すなわち大学の医学部も十分にできるような広さなのです。ですから、どういうふうに使うかも含めて、JR貨物が本当に要るのか要らないのかということも含めて、地域のために共通に何か一緒にできることはないか、それから、JR貨物それ自体を移すことが目的ではありません。全体として渋滞をなくすことですから。
今の事務次官をやっている谷口さん。かつて沼津で事務所長をやっておられました。あるいは、大石さんという、国交省の技監をされた方、この方も沼津の所長をやっておられました。彼らはその問題を知っていますから。道路族のトップですから。私は彼らの友人です。彼らが、沼津の道路渋滞をどう解消するかということについて、これまでまったく無策であったことはないのです。ですから、そういう全体をもう一度見直して、何が一番問題なのかと。基本的に沼津市民の方々が、原町は今、沼津市ですから、そこが幸せになるためにはどうしたらいいということを考える。反目をするということは最悪ですから、けんかの一方に立って、それを強引に押し進めるというようなことは、私はするべき立場にはないと思っています。



外国人参政権について

<記者>
 政府民主党が現在、今回召集される国会で外国人参政権の法案を検討しているという話がありますが、この件に関して知事の御見解をお聞きします。

<知事>
 そうですね。これは難しい問題ですね。戦前期に日本にお越しになって、2世3世と言われているような方がいらして、まだ日本国籍をお持ちでないという方は。しかし、韓国に行かれたら、行かれたにしても韓国語がしゃべれないと。実際日本人ですね。そういう方々がいろんな形で税金を納めている。にもかかわらず、発言する権利がないというのは不当ですね。
一方で、お越しになってそれなりに10年20年経っていると、しかし、長く日本にいるので参政権を持つべきだと・・・。だから、すぐに一概に言えないと思っています。例えば2世3世にとっては、納税をされるということは、義務であると同時に権利を行使できるはずなので、その落としどころをどのようにつけていくかというところではないかと思っています。

<記者>
 現段階では賛否は明確には判断できないのですか。

<知事>
 そうですね、残念ながら一律に在日外国人に即参政権を与えるということは、「賛成だ、反対だ」ということは一概に言えないということで、真剣に考えさせられているところです。



東静岡地区の整備及び富士山の日について

【東静岡地区の整備について】

<記者>
 3点質問があります。
東静岡の問題ですが、以前、知事が(静岡)市長に協議をスタートさせるとおっしゃっていましたが、協議は具体的にいつからという予定が立っていますか。
もう一つは、(施設の)規模ですが、グランシップとエコパがあるので、同じようなアリーナ施設は必要ないと思っていらっしゃるのか。それとも、この間、(静岡)学園(の敷地)がすべてすっぽり入るとおっしゃっていたので、体育館の規模で十分だとお考えなのか。
3つ目は、静岡市は条例を変えてまでアリーナを誘致とおっしゃっていますが、市の土地に県のお金で(施設を)建てるということに対して、今までの市の姿勢についてどう思うか、お聞きします。

<知事>
 市と県とで事務的な協議をやり始めたばかりだと思います。(※広報局長に「始まっていますね。」と訊ねる。)私のところにはまだ上がってきていませんが。始めるということを4日に言いましたので。
実際にこの話は昨年から知っていましたので、だからこそ私は草薙の体育館を見に行ったり、市有地の公園を見に行ったりして、いろいろと自分なりに現場で調査してきた訳です。それで現場の声を聞けば、やはり草薙の総合運動場は「聖地」なんですね。私の考えというよりも、(静岡県)体育協会の重鎮の方が自ら案内くださって、そして彼らの意向によって(静岡)学園にまいりまして、体育館の中に入れていただき、高校のもちろん御了解をいただき、バスケットをしている青年たちと遊んで、それから下にりっぱな卓球場やら道場があるんですが。そして上に行くと運動場がありますから、見えますね。そしてその向こうに総合体育館が見える訳ですが、「すっぽり入るんですよ。」「入るんですかそうですか。」と。とりあえず私は野球場を広くしたいと。と言うのは、ともかく今プロ野球ができないので。しかし一方で、これは日本のベースボールの最も記念すべき野球場なので、これはそれなりのことはしなければならない。そうすると、広げると暗くなるでしょう、体育館との間が狭くなるからです。「こちらに移すのがいいんです。」と彼らは言う訳です。「すっぽり入るならそうですね。」と。そうしたら使っている間中に造れるし、造れたらそこを緑にすればいいと。「それが一番いいんです。」と言われていたので、それが出ましたね。
それからまた、今の市有地のところは市庁舎を造るということだったのが、全体いろいろな経緯からアリーナになったということですが、仮に市庁舎を造るとなれば、これは市が造ることになるでしょう、市有地ですから。今ガンダムを出されるということで、あれも昨日の静岡青年会議所の中で、静岡市経済局商工部長の靱矢(うつぼや)さんという方が、小嶋市長の祝辞を読まれたのですが、その後、ガンダムだけの話をされました。つまり彼らが、本来ならば大阪とか福岡に持っていかれるのを、静岡市経済局長の熱川(あつかわ)さんという市の方々がバンダイのものだから何とかあそこにおいてくれと一生懸命やったということを言われておりまして、それは1年近く置かれるのなら、私はお台場で400数十万の人たちがお越しになったと、1ヶ月半の間で。「そういうことであれば『ガンダム広場』になってもよろしいのではないですか。」というようなことを言ったくらいですが、アリーナだから県が造らなくちゃいけないというような二者択一ではなくて、私は話し合いの中で、全体の中であそこを賑わいの空間にするにはどうしたらいいか、それは草薙の総合運動場から東静岡までの一帯を、全体として賑わいの空間、静岡市とはちょっと異なるグランシップの文化性、SPAC(スパック)、県立大学、美術館、総合運動場、こうしたもの全体を含めたあそこに賑わいの空間をつくりたい。
なかんずく、東静岡には若者が集うような、ガンダムに子どもが来る、ガンダム世代は40代くらいですか、そういう人たちが子どもを連れてお越しになって、賑わいの空間をつくる。若者がいると。そういうことを考えていまして、県有地には大学コンソーシアムのようなものをつくりたいと思っておりまして、これは現静岡大学の学長である興先生などは、浜松には浜松駅の近くに、そしてこちらは東静岡でやるのが一番いいということで、いろんな大学のネットワークをソフトの面ですが今進めてこられました。そうしたもののハードをつくる上では、県有地の方に大学コンソーシアムをつくろうと思っておりますが、公園の方は、本当にどういうふうにすれば全体の絵の中で、そこが最もよく土地としての「場の力」を発揮できるかということになるのではないか、というぐらいの考えです。「アリーナ先にありき」の考えではありません。

<記者>
 ゼロベースで?

<知事>
 体育館をどこに造るかということについて、県の体育協会のお考えをお聞きしたところ、あそこの聖地の中にあった方がいいという御意見があるので、そうすると、それをそこから引き抜いて、もぎ取ってきてボーンと移すということがどうかと。県の総合体育館があそこにあるとして、またアリーナがあってもいいかもしれません。どうしても静岡市の人が、旧清水市の人がアリーナがどうしてもほしいということであれば、なにしろ市の持ち物ですから、御自由にされれば構わないという選択肢もあると思います。

<記者>
 市が市のお金で建てれば、ということですか。

<知事>
 市の土地ですから。何しろ彼らが自由にできます。市は私たちに提供するとおっしゃっていますが、元々は市のものですから、私たちに提供されれば私もまた考えますが、そのときにこれしかないと言われるのとは違うでしょう。ともかく、一番のコンセプトは賑わいをつくるということです。


【富士山の日について】

<記者>
 富士山の日ですが、ローカルホリデーにされるお考えを伺っていますが、改めて御自身のお考えと、今どういう進め方をなされようとしているのか、お聞きします。

<知事>
 これは、私が決めるというよりも皆さんにお決めくださるのがよろしいと思っておりまして、なかんずく教育委員会の方で、学校をその日休みにして、地域学の一環として富士山、自然、環境、こうしたことを思う日、学ぶ日というふうにすると、子どもたちが仮に学校を休日にするなら、できれば企業の方々にも御協力賜って、おとうさま・おかあさまと御一緒に、御家族一緒に過ごせるようなそういう日にできるように企業の方に御協力を賜ると。ただし、人が出て行くとなれば、サービス産業なんかでむしろそのときに仕事していた方がいいということもあり得るでしょう。これは条例として決める必要があるかどうか、むしろ条例にしなくても教育委員会の方でできますよ、というお考えを承りまして、そして一旦、教育委員会の方でお決めくださった後、関係者の方にパブリック・インボルブメントと言うんでしょうか、いろいろ聞いていただいて、その期間を置いて、それからやっていけばいいと。来年の2月23日からのことで、今年の2月23日からではありませんで、まだ日程がございますので、どういうふうにすると一番富士山の日にふさわしいような日に県民としてできるか、ということでございます。

<記者>
 条例を出されるおつもりはないのですか。

<知事>
 条例しかないと思っていたんです。ローカルホリデーと言った場合。これは国交省の方と相談してそういうお話をしたんですが、よく聞いてみると、それ以外にも実質上休日にできるという。これは他の県でもなさっている事例がございまして、どちらかというと、条例にしなくても済むという方向で動いています。